公立学校教員から転職をした話

昨年度末で公立学校教員を辞めて転職した。
「え?なんで?」と言われるぐらい、公務員からの転職が珍しいということを周囲の反応から知ったので、そんな珍しいパターンの転職活動を誰かの役に立てばと思い、残すことにした。

なぜ教員になったか

高校時代の先生に憧れて、というよくある話。
世界史の先生は、テストや授業の度にめちゃくちゃ褒めてくれた良い先生だった。
その先生との関わりを通して、「周りの人より社会科の勉強が得意だから、これを仕事にしたい。なんなら褒めて伸ばしてくれる先生のような人になりたい。」と考えた。

教員の仕事で感じたこと

自分の知識が増えるのにお金がもらえる幸せ

この仕事を選んで良かった。様々な知識や技術を身につけ、それまでの人生で関わることのなかった社会問題に触れることができた。

初任の支援学校では、それまで考えることもなかった障害や教育心理学について知見を深められた。
その次に勤めた普通科高校では、教科の知識と社会への見識がとても増えた。
大学を卒業するのが当たり前でない社会層と接することができたのは、20代の自分にはとても大きな影響があったと思う。

公立学校教員の職業に就けて、本当に恵まれていたと思う。
ただし、社会根幹のシステムとして良くないんじゃないかと思うこともたくさんあった。

前例踏襲ばかり

基本的に学校の教員は優秀な人が多いので、授業や行事についての改善点が会議でたくさん議題に上がる。
しかし、無難な着地点を探して現状維持となることが多かった。
なぜそうなっていたのか?それは改善にエネルギーを割いていられない業務過多、人手不足という現状からだと思う。
よく報道される、業務が多すぎる問題は本当にその通りで、現場の一人ひとりが問題意識は持っているけれど、それを解決するエネルギーが現場にはなかった。

年々酷くなる人手不足

人手不足は、文字通り年々酷くなっていると感じていた。

勤務校の生徒数は減らないのに、年度毎に行政が設定する教員数は減っていく不思議。
産休や病休、育休の代替教員が見つからないことは春の風物詩。

苦労してやっと見つけた人が60代の教員。でも、今の生徒にあった指導ができず問題発生。みたいなことも起きたりする。
そうした問題の対応がダイレクトに僕に降りかかってきたときに、「この業界やばくね?」と思ってしまった。

なぜ辞めたのか?

と、元の職場の人や新しい職場の人、友人、家族などたくさんの人に聞かれた。
でも、何か決定的なことがあったわけではない。

おそらくあと1~2年続けようと思えば続けられたかもしれないが、それ以上は無いと思った。
1個1個の小さなマイナスが積み重なってしまった結果、辞めることになってしまった。

転職活動

「もう無理だ」と思ったのが2020年1月の半ば。
そこから動き出した。

まずは、教員から転職した人の情報収集をした。このときに見たのがこちらのサイト。

転職エージェントに登録

ネットでリクルートエージェントに登録。
登録から3日後にリクルートのオフィスでエージェントと会い、転職の流れ、今の転職市場の雰囲気、やっていくこと、などを丁寧にレクチャーしてもらった。

職務経歴書の作成

エージェントから頂いた資料を元に、自分の「これまでの仕事とその結果」と「スキル」、「これからしたいこと」をまとめた経歴書を作成。

この作業に2週間は使った。
一度完成したと思っても、提出する企業を想定して微修正を繰り返しす毎日。

難しかったのは教員の仕事を客観的に書くことだった。
生徒にどんな働きかけをしたか、学校運営にどのように取り組んだか、は書けてもその結果は数値化しにくい。数値化できないとその結果はどうしても主観的で、曖昧な言葉になるから相手に自分の成果が伝わらない。

自分は、生徒の反応を書くことと、業務短縮した時間や手数を数値化することを意識して完成させた。

求人票に応募

リクルートエージェントでは、

  • 勤務地
  • 年収
  • 業種

を登録しておくだけで毎日10件以上(2020.2月頃)の求人票が送られてきた。
様々な求人票を見て、「こんな仕事もあるのか」という発見が面白かった。
また、語学、プログラミングのスキルが結構求められていることも知れた。

2020年2月初旬に教育業界の企業に応募。
自分は内定を取るまでに15件応募した。

面接

といっても書類審査を通って面接までいけたのはわずか2社だけ。
2月中旬から面接が始まった。

1社目は1回目が電話での面接、2回目が東京本社での最終面接。
本命の2社目は1・2回目がzoomでの面接、3回目が東京本社での最終面接。

面接の準備として転職する理由、志望動機、その企業で取り組みたいこと・できること、の型を作ってスムーズに言えるまで何度も練習した。
職務経歴書を元に型を作ることで、自分の芯がはっきりする。
あとはどんな質問が来ても、この芯に基づいて答えを弾き返すだけだった。

退職届けを提出

この過程は結構精神に来た。
3月末退職のために、まだ内定は出ていないのに2月末に退職することを管理職に申し出た。
その翌日から内定が出るまでは、コロナウイルスによる不況のニュースを見る度に生きた心地がしなかった。

なのでこれを読んでいるあなたは、2月中には内定を取れるように僕よりは早めに転職活動をしてください。

内定が出て転職活動終了

本命の会社がコロナのためにリモートワーク中というのもあって、稟議が遅れに遅れて面接から2週間後の2020年3月中旬に内定が出た。
転職活動を開始してちょうど2ヶ月だった。

連絡を聞いたのは有給消化のために午後休を取った帰り道。リクルートエージェントから電話で知らされて、行きつけのスーパーの前で叫んでしまった。

転職サイトは結構便利

リクルートエージェントを使って良かったポイントが

  • 業界トップだけあって求人票の紹介量が豊富。
  • 転職に関する情報が豊富。
  • 複数社の面接の日程管理をしてくれるから楽。
  • 面接後に言い足りなかったことを仲介して伝えてくれたから安心できた。

といったところ。
転職希望者1人に専属のスタッフが付いてあらゆることを面倒見てくれるので、スタッフの力量によるという口コミも見たが、僕の専属の方は人柄も実務面も優れた人で不満はなかった。

教員から転職の場合、民間企業に対して知らないことが多いと思うので、リクルートエージェントを利用するのはオススメできる。

新しい職場で

選んだ理由

新しい職場を選んだ決め手は、

  • 全国で教育事業を展開しているから、全国の色んな所に住める可能性があること。
  • ITを使った教育業界の問題解決を目指していること。
  • 教育に関する経験を活かしながら、民間企業での動き方を経験できること。

働き方が進化した

効率的な働き方の徹底

この職場では公立学校で意識しなかった、

  • 誰が言ったかではなく、何を言ったか
  • 少ない工数で結果を得る
  • 電話とメールとチャットツールの使い分け
  • 精神論ではなく具体的な手段を述べる

といったマインドを叩き込まれて、毎日自分の成長を感じながら働いている。
一方で公立学校での経験を期待されている分、緊張感もある。

休みが増えて体調が良い

土日はフルに休めているおかげで、体調もすこぶる良い。慢性的な頭痛がなくなった。
公立学校教員時代は毎週末にスタバで教材作成をして働いていたが、「休みはリフレッシュしてください!!」と管理職だけでなく同僚からも言われる。

なんてホワイトなんだ。

休みにしっかり休めるからこそ、働き始めるとスタートダッシュの威力がすごくて、「効率良い働き方」ができているように思う。

収入

公立学校よりも年収は100万円下がっているが、可処分時間が増えたり、ストレス発散のための支出は少なくなったりしているのでトントンだと思う。

公立学校で毎日感じていた「〇〇な方法ならもっと効率よくできるのに」が実現できる環境だからこそ、仕事に対しても前向きに取り組む幸せも感じている。

転職をしてみて感じること

転職してよかった

このコロナ禍で学校現場の腰の重さや、行政の教育に対する意識の低さがニュースで目立ったのを見ると、「抜け出してよかった」とどうしても思ってしまう。

今の職場では働き方に対する意識が管理職も同僚も高いので、「自分を大切にされている感」を持てて自然とやる気も起きてくる。

人を大切にする環境に来れてよかった。

家を買ってなくてよかった

公立学校教員だと、20代半ばで結婚と同時に家を買う人が多いし、親世代にもそれを勧められる。
が、断固として買わなかった。
それは新卒3年目ぐらいから「これは一生できる仕事ではないかも」とうっすら考えていたから。

結局しんどくなったときに退職の決断をできたのも、家を買わなかった=借金がなかったから、というのが大きかったと思う。

自分に自信が持てた

「退職」「転職」って言葉にとても大変なことというイメージがあったけれど、実際に動いてみるとできたから「自分は結構やるときはやれるんだ」と、なんか自信がついてしまった。

自己肯定感爆上げ!

最後に転職を考えている人に伝えたいこと

  • あなたの能力を買ってくれる場所は他にもある。
  • あなたの能力を活かせる場所は他にもある。
  • 転職活動の開始は遅くても11〜12月。
  • 世間に流されて家は買わない。
  • 不満があればまず動こう。
  • 30歳が教員から転職のデッドライン。

ほんとに早く動いて。でないと無駄にドキドキするから。